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2006.08.23

話せばわかる は本当か?

もう15年以上前でだろうか、昔友人と「話せばわかるは本当か?」ということについて議論したことがある。その時は友人は 「話せばわかるは本当」派で、僕が、それは本当ではないと主張した。

そもそもなんで、そんな話になったのか?

僕らそのころ子供たちを相手にしたあるキャンプのリーダー(カウンセラーとも呼ばれることもある)をしていた。 僕は自分の親が理屈よりも先に手が出るほうだったので、子供たちを叱る際に、自分の体験をもとに一切の説明をせずにだまって怒る (たまに手が出る)ことをしていた。

それを友人は痛烈に批判した。

基本は「暴力はいけない」=「叱る際も話して聞かす」ということ。「どうして殴るのだ?話して聞かせないと相手には伝わらないだろ」 という友人に対して、僕はなにも反論できずにした。

正直なところ、「わかってもらう必要があるのか?」と考えていたからだ。自分の父の叱り方が普通だと思っていた僕は叱る際に「説明」 が必要とはそもそも思っていなかったのだ。そして、自分が手をだしていたことが、どうしても友人の言う「暴力」だとは思えなかったのだ。

「話せばわかる」「暴力はいけない」というきわめて理路整然な(論理的な)友人の指摘に対して、僕は何一つ有効な反論はできなかった。 僕がその場でしたことは、彼の言うことはわかる(論理的には正しいと思う)が、 かといって自分が間違っているとはどうしても思えないという主張することだった。

その理由は?と聞かれても答えようもないし、前述したとおり内心では答える必要がなかったと思っていた。

理由を説明してもらえない相手の納得は当然得られるはずもなかった。

そして、この問いは実はいまでも自分の中で問い続けている。

親になった現在、子供叱る際、年に1~2回であるが僕は考える間もなく手がでている時がある。 頭の中で論理的にここで殴らなければ駄目になると考えて、手を出しているわけではない。

彼らのほんの一瞬の行動、言動が自分の中でのある線を越えたとき、それは判断とぬきにしておこる。

奥さんなどからは「瞬間湯沸かし器」のように見えるのかもしれないが、僕の中ではそれを許したら「もう親でいられない」。

僕は父に似ているようで、人様の子であってもかつてはそれをしていました。時代は変わったようで、いまこそ気をつけていますが、 心の中では昔公園で、自分をしかりつけてくれた近所のおじいさんみたいな人が減ったことをとても残念に思っています。

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