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2004.11.23

グローバリゼーションに対する考察

サービスビジネスをテーマにして海外来てから「グローバリゼーション」という言葉を意識するようになった。中国語では「全球化」というらしい。うまい漢字をあてるなと思うが、日本人はうまく日本語にすることができず、カタカナという便利な日本語で概念はともかく、言葉だけは輸入した。

最近アメリカのテレビで日本語番組の合間にやっているJALの宣伝で、日本の友達と電話で話す女性が、日本にいる友人から「カタカナ多いよ!」と指摘されているのを見た。JALはそれを「この間日本に帰ったのはいつですか?そろそろ日本へ!」と続けている。

アメリカのいる日本人はどうしても言葉の中に英語が混じることが多くなってゆく。日本語の中にうまく、表現がみつからなかったり、本人が日本語を思いつかないことが増えるためだ。英語を英語として理解するのが進行すると仕方がないと思う。それが進行すると日本語を話すアメリカ人ができあがる。人によっては日本人のそれと、アメリカ人のそれをうまく使い分けている人もいるが、仕事が全部英語で、友人はほとんどアメリカ人ですという人には、言葉は日本語だが、もうすでに日本人の感覚は僕からは感じられない。

この話はいろんな方向へと展開できるが、話をグローバリゼーションに戻す。

僕が最近気づいたのは日本語の「グローバリゼーション」と英語のGlobalizationは別物だということ。多くの日本人が使っているグローバリゼーションとは実は「アメリカの真似をしよう」ということだ。

「これからはうちの会社もグローバルじゃないといけないな。」「お前もグローバルだな。」(実は意味不明?)海外駐在員になると決まったとき、多くの先輩が僕に言ってくれたことだ。アメリカにきて気づいたことは「アメリカンスタンダード」は決して「グローバル」ではないということ。それを自分の体験として気づいたことは大切なことだと思う。

インターネットやサービスビジネスの発展にアメリカが大きく貢献したのは間違いがない。それは人々の暮らし、特にコミュニケーションのやり方を大きく変え、それによりビジネスのやり方、あり方も大きく変わった。でも本当の意味でインターネットやサービスビジネスがグローバルになるときなにが起こるか?

僕は「混ざる」ということだと思う。

日産自動車のCEO カルロス・ゴーン氏はグローバリゼーションの問題について、「このくにの行方」という本の中でインタビュアーの筑紫哲也氏に対して「私個人としはグローバリゼーションがアメリカないしアングロ・サクソン・システムの方向に向かったゆくとは思いません。たしかにはじめはそうでした。しかし、今後は少しづつ、さまざまな国の文化を取り入れ豊かかなものになってゆくと思います。」と述べている。

混ざりながらの自分の文化、アイデンティティを主張する。これがGlobalizationの真の姿だと思う。

そういう意味では前述した「日本語を話すアメリカ人」は混ざるの典型。ただし人によって日本人のよいところを捨て去っている人もいるので要注意だ。こういう人には日本人特有のシンパシィ(いわゆる甘え)が通用しない。

またメディアやインターネットなどによって情報の伝達スピードがあがり過ぎて、その混ざり具合に人間がついていけないことも問題だと思う。従来は情報の咀嚼ということが多くの人によって行われ、無理ないかたちで「混ざり」が行われていたと思う。

僕のような海外駐在員の役割こそ「咀嚼」だと思う。自分自身はまだまだ混ざってはいないが、最近ではあるがままを受け入れることはできるようになったと思う。

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