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2004.05.20

「にちやけん」と「遊び」

文部科学省答申 子どもの体力向上のための総合的な方策について

(事例5) 民間団体による幼児から小学生を対象とした年間を通じた野外活動 (日本児童野外活動研究所) ・会員の子ども(4歳~小学生)を中心に、年間を通じて、毎月3回の日曜日に昭和記念公園や荒川土手等で野外活動を行っている。 ・活動では「思いっきり集団遊び」、「凧(たこ)揚げ・土手遊び」など、毎回テーマを決め、それに沿った遊びをする。その他、「必須科目」と呼ばれる集団での遊びを年間を通じて行っている。 ・月ごとの活動のほか、野外活動に関心を持つリーダー(学生・社会人)を中心とした研修活動も行っている。

文部科学省の答申に懐かしい名前=日本児童野外活動研究所を発見したので思わず引用した。
カテゴリを「友人・知人」としたが、恩師が主催する自分の数少ない居場所のひとつである。

日本児童野外活動研究所(にちやけん)に参加したのは19歳のとき、もう15年も前になる。
学生時代にバイトとしてはじめた野外教育活動にはまり、日々の活動団体として行き着いた場所がにちやけんだった。

たくさんの人に出会い、たくさんのことを教わった。大学のゼミとならんで間違いなく僕を大人にしてくれた場所だ。
子供たちのふれあいは毎回新鮮で、こんなに自分に正直になれる場所は他にはなかった。
それにもまして出会う大人たちのすばらしいこと、世の中にはこんなにもすばらしい人がいるのかと本当に思った。(しばらくしてわかったことですが・・)

上記の答申のとおり「にちやけん」では「遊び」にこだわる。そこでアメリカに関連して思い出したことを書きます。

アメリカの子供たちは集団で遊ぶということをしない。上記の答申にある「集団遊び」をしないのだ。
先日会社の仲間の子供と自分の子供と遊ぶ機会があった。「かくれんぼ」「だるまさんが転んだ」誰もが知っているこの遊びを彼女は知らなかった。
アメリカ人の子供ならばともかく、日本人の子供が知らないのか?衝撃だった。

「外で遊ぶときはぜったい親が一緒だし、学校ではバスケ、サッカーや器具を使って遊ぶからかな?」と会社の同僚でもある父親が言っていた。
社会の仕組みとして集団で異年齢の子供が遊ぶという習慣がないのだろう。「かくれんぼ」や「だるまさんが転んだ」は道具が何もなくてもできる楽しい遊びだ。
物があふれているアメリカではそういう発想もない。

もちろん、彼女に教えてあげました。楽しく遊べました。
いつが英語で現地の子供たち相手にチャレンジしよう。(先の長い話だ・・)


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コメント

日野研、懐かしいです。今から10年以上前、息子が幼稚園~小学校低学年まで、月に一度お世話になっていました。はじめは誰も知らない中にひとり放り込んで心配もしましたが、どろんこになって遊んだり、海へ行ってかにやヤドカリをとってきて、そのことをきらきら光る目で語ってくれる息子を見て、本当に良い機会を与えていただけたと感謝感謝でした。不動前の駅前のビルから移られたのでしょうか?昔よく見ていた黄色い看板がなくなって、どうなさっているのかしらと思っていたところです。あの頃お世話になった1人息子ももう高校2年。本当にありがとうございました。

投稿: yumikiti | 2005.07.08 09:36

昭和50年ころ私立小学生になじめない私は日野研、(前は日児研)が小学生の私の心のよりどころでした。
そのときのリーダーの一挙一動忘れません。
良い思いでばかりです。
小学生の私が大学生に憧れ当時スキーリーダーのREDとはまだ連絡をとり交流しています。
その後保育士をとりマスコミ、自営の仕事をしましたが原点に返りたく検索・・・。パーキンスに連絡してみたくなりました。

投稿: tamayu | 2010.02.20 12:00

tamayuさん、コメントありがとうございます。

昭和50年ですか、僕が関わる前ですね。僕も何人かの子供たち(もう大人ですが)と今でもつながっています。

そんなつながりはとても大切ですよね。
「リーダーの一挙一動忘れません」、そう子供たちはそんな風にリーダーを見ていましたね。リーダーをやっていた僕にとっても子供たちとのふれあいは、いろんな意味での拠り所でした。

パーキンスにぜひ連絡してあげてください。今は2代目が現場を仕切っていますよ。

投稿: CB | 2010.02.22 19:06

たまたま日野研についてのサイトを発見して、驚いています。私もyumikitiさん同様、小学生だった昭和50年~55年まで日野研の前身、日児研にお世話になっていました。当時のリーダーたちはどうしているのか・・・ありんこをはじめ、ブル(ブルドーザー)、マエチン、ミラーマン、カジカ・・・横浜は上大岡駅で毎月1回集合し、京急沿線の野山を歩き回っていました。パーキンスたちが55年頃に日児研から分かれて日野研を立ち上げたあたりから、私も活動から遠のいてしまったのですが、当時、思い返せば恐らく大学卒業したばかりぐらいの若いリーダーたちから山や海で教わったことは、今も大きな財産です。今はどうしているのか、是非知りたいです。パーキンスは今も活動していたのですか。日児研の本拠は目黒にあって、毎月『ガキ大将』という新聞を発行していました。今も大切にとっています。

投稿: tmiyagawa | 2011.01.30 09:34

tmiyagawaさん、コメントありがとうございます。また反応が遅くてごめんなさい。

僕がお会いしたことがあるのは、ありんこさん、ミラーマンくらいです。その時代の方々は僕らにとっても伝説でした。

パーキンスは健在ですよ。現在は息子=ほっけへの世代交代が進んでおります。

にちやけんの本拠は目黒の不動前です。今は「ふきだまり」という機関誌を発行しています。

にちやけんのすごいところは、やっていることがずっとかわらないということでしょう。

今度パーキンスにあったら、この書き込みのこと、伝えておいますね。

投稿: CB | 2011.03.07 20:16

CBさん、書き込みがあったことに今気が付きました。こちらこそ反応が大変遅くなり(実に2年後・・・)すみません。震災直前の書き込みですね。今はマスコミの仕事をしていて、あの書き込みの直後にあのようなことが起きたので、自分で書き込んだことを忘れていました。

そうですか、パーキンスは健在ですか。今は息子さんへの世代交代ですか!大人になってしばらくは野外活動から遠のいていたのに、子供が山に行けるような年になってから、あの頃日児研のおかげで野山を駆け回った体験を思い出し、自分の子供にも同じようなことをさせてやりたいと、意識して山に連れて行ったりしてきました。

「ふきだまり」読んでみたいです。昔と変わらず活動を続けているとはすごいです。パーキンスは私のことは忘れているでしょうが、当時、一番長く日児研の活動に参加していた同級生の山中新太郎くんのことは覚えているかな・・・?不動前なら、今住んでいるところと近いので、一度訪ねに行きたいですね。

投稿: tmiyagawa | 2013.07.21 21:31

子供三人がお世話になりました
パーキンスお元気ですか
今度は孫を日夜研にお願いしようと思っています
まだ佐渡縦断をやっていますか?
当時のごりさんや他のスタッフの方々もお元気でしょうか

投稿: 平松婦貴子 | 2013.11.20 20:10

平松さん

書き込みありがとうございます。
日野研がホームページを作らないので
ここにたどりつく方が多いようです。

パーキンスは健在です。(のはず)
1年くらいお会いしてないので・・

今は佐渡縦断はやってないんじゃないでしょうか?

ゴリは幼稚園の先生というより経営者してますよ。

投稿: CB | 2013.11.20 21:28

おはようございます。
昔のことを思い出していたら、ここに辿り着きました。

自分はゴリさんが、日野研最後の日、丁度その場に居た世代です。
確かあれは池袋の、西武池袋線の改札前でした。
記憶している限りゴリさんとは数回しかお会いしていなかったはずですが、
当時、とても寂しかったことをはっきりと覚えています。

妹も日野研に通っていましたが、妹は今でも私があげた100グガガを大事に持っています。
当時私は100グガガがどうしても欲しくて、
リーダーに(たしかボーボー)「っていうかこれコピーだよね?」と聞いたところ、
「本当は内緒なんだけど、コピーすると一発でパーキンスにバレちゃうんだよ」と言われ、
当時私はパーキンスが本当に怖かったので、コピーはダメだ絶対にダメだ…と本気で信じていました(笑)
ですが、グガガのおかげで、お金の大切さと労働が何たるか、今でも心に染み付いています。

パーキンスは子供の私から見ても、子供にもリーダーにも分け隔て無く厳しい方でしたが、
決して理不尽なことを言うような方ではありませんでした。
子供と同じ目線で、本気で叱ってくれて、本気で遊んでくれる、
オカリナやギターの上手い、とてもカッコイイおじさんでした。

私は月に一回の日野研も楽しみでしたが、合宿が何より好きでした。
合宿を餌に、両親に勉強をしろと言われ、うんざりしながらも頑張った記憶があります。
てんとう虫バッジは私の誇りでした。
私にとっての、人生で初めての「頑張った証」でした。

私は中学に上がってから学校の事情で日野研との関わりは全くなくなりました。
たまに届く、あの太陽が書かれた黄色い手紙も、
思春期の私にとっては、遠い過去を眺めるように眩しく、
ただの思い出として、もう自分とは無関係のものと感じておりました。

しかし、この歳になってよく思うのです。
今の私を構成する多くの部分が、日野研の影響を受けているのだと。
人との距離感や、人とどうやって親密になるのか、信頼関係を築けるのか。
忘れていたと思っていた記憶が、私の心に今でも深く、刻まれています。

もしブログ主様がパーキンスにお会いする時があれば、お手数ですが是非お伝え下さい。
あの時は、本当にありがとうございました。ご自愛ください、と。

投稿: Ryo | 2016.09.02 05:09

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